『中西文彦』
2007年は、ずっと彼の弾くギターを聴いていたような気がする。
どちらかといえばヒキコモ体質で、音楽を聴きに街に出るなんて
ありえなかったのだけれど(だって、めんどくさいでしょ?)、
あのギターが聴きたいばかりにあちこちと出歩いた一年だった。
わけても、彼のソロ・ギターは格別で、
ここ
『ワンダー・キッチン』には、毎月のように足をはこんだ。
ちょっと真剣に語ってみようか。
そんなふうに定点観測的に聴き続けていると、
いつしかよくわかってくるものだけれど、
必ずしもその演奏が毎々珠玉の演奏というわけではないのだった。
演奏に臨む姿勢は毎回プロフェッショナルのそれだとしても、
響く音は正直なもので、好不調ははっきりと聴きとれた。
それでもなお、その音楽に飽きることなく、
心からそれを聴きつづけたいと願ったのは、
彼がけっして惰性や慣性で演奏することが
なかったからだと思う。
もっといってしまえば、こうだ。
出音の好不調は体の具合や感情の起伏の投影にすぎない。
それをわかった上で、彼は常に楽曲そのものの姿を
冷静に眺めていて、毎回違う角度から光をあてようと
試みているのに違いなかった。
でも、それはアトリエ作業、つまりは習作であって
プロの演奏家が人前で聴かせるようなものではない。
という意見があったとしても(まあ、あるだろうね)、
わたしは否定しないし、できない。
けれど、わたしはこんなふうにも思うのだった。
『優れた芸術家のアトリエを覗いてみたくない奴なんているかい?』
ってね。